香川大学に赴任してから、毎年、農学部で「応用生物科学領域の倫理」という授業を分担で担当しています。毎年度、この授業科目では2回の講義を担当しています。
先日は2020年度におけるその1回目の講義で、「農林水産業分野の倫理」について語ることになりました。(年明けに2回目で、国際協力分野での倫理の問題を語る予定です)。
ただし、農林水産業の倫理とするとあまりに対象広いので、農業分野の倫理の問題に対象を絞り込ませてもらって講義を行いました。
農業分野の倫理を論じている文献については、正直私はあまり詳しくありません。しかし、昨年度の地域農林経済学会特別賞を受賞していた下記の著作については、地域農林経済学会の理事会で詳しく説明を受けていたため、以前から特に関心を持っていました。今回の講義の準備にあたってこれを詳しく読ませてもらいました。
また、私は以前からSDGsに関心があったので、SDGsから農業に関する倫理をどうとらえるかという観点も今回の講義に盛り込みたいと考えていました。以下の特集記事は、農業とSDGsの関係について、事例を盛り込み詳しく論じてくれているので、大変参考になりました。
以上の2冊はどちらも昭和堂から出ています。これらに依拠させてもらいつつ、講義を組み立てました。その講義の流れを簡単に説明します。
1.農業の近代化の意義と問題点、コスト
今回の講義では、まず、農業の近代化、産業化は、食料と労働力の安価な供給に貢献する一方で、農村コミュニティの解体、循環型農業の衰退、環境・生態系の持続性の阻害、健康被害、化石燃料の大量消費、農業生産・農産物流通のエネルギー効率の悪化などのコストを伴うことを述べました。 以上の点に関する議論は、上掲[1]、[2]に含まれる以下の章、記事を特に参考にしました。
・秋津元輝氏「農と食をつなぐ倫理と実践:考えと行動のための指針」、上掲[1]の第5章、pp. 115-144.
・竹之内裕文氏「農と食を結びなおす:産業社会における農と食の倫理」、上掲[1]の第10章、pp. 251-283.
・池上甲一氏「農林水産業からSDGsをどう読むか」、上掲[2]、pp. 6-19.
農業技術の進歩が農業就業者の絶対的減少をもたらすことは、日本の農業経済学の代表的なテキストである、荏開津典生氏・鈴木宣弘氏『農業経済学(第5版)』(岩波書店、2020年)でも詳しく述べられています。近年顕著になった日本の農村コミュニティの解体は、その延長で生じたとも考えられます。
他方で、日本での農業就業者の急激な減少は、農業の交易条件の悪化からもかなり影響を受けて引き起こされているとも考えられます。この見方は、以下の記事で論じられています。
・山崎亮一氏「農業構造と生産力の担い手像」『農業と経済』2020年3月臨時増刊号「食料・農業・農村基本計画の真価を問う」、pp. 44-51.
農業の近代化に並行して、農業生産資材企業や、食品流通企業、食品加工企業が川上、川下から農業生産者をぐるっと取り巻く産業構造も作り上げられました。こうした企業がマーケットパワーを行使して、農業の交易条件悪化につながる価格条件、市場環境の形成を促しているとも見れます。こうした点を重視すれば、農業生産資材企業や、食品流通企業、食品加工企業に対しては、農業の持続可能性に対する責任が備わっていると考えられます。
2.農業の近代化の帰着に関する倫理と行動
こうした農業の近代化、産業化に伴う問題点、コストが大きいと思われるならば、「その問題を悪化させてはいけない」「それらを是正しなければならない」という倫理が人々に芽生えるはずで、その倫理が確固としたものになれば、市民や企業の間に、問題悪化を食い止める行動、是正する行動が広がる可能性が高まると考えられます。こうした行動に取り組む事例が、最近、消費者団体や、SDGsへの関心が高い食品産業の企業などによって、続々と挙がっています。今回の講義ではそうした取り組み事例を以下に絞り込んで説明しました。
2.1 京都生協による「産直さくらこめたまご」の応援金制度、人口減少が著しく進んだ集落の維持・再生支援体制について
私の講義中で、上記の京都生協の取り組み内容を、以下の記事に依拠して説明しました。
・福永晋介氏「食、農、地域の持続可能な発展のために:京都生協のとりくみ」、上掲[2]、pp. 78-84.
「産直さくらこめたまご」の応援金制度は、卵1個につき組合員が1円の「応援金」を提供して、飼料米・鶏卵生産での循環型農業を支援しようとするものです。この詳細については、以下のプレゼン資料が大変参考になりました。
2.2 (株)伊藤園と、カルビーグループのSDGsに関わる取り組みについて
今回の講義で、伊藤園、カルビーの取り組み内容を、以下の記事に依拠して説明しました。
・笹谷秀光氏「産地を支え付加価値をつける:食品関連企業のSDGs」、上掲[2]、pp. 70-77.
SDGsで挙がる17の目標のうちの2番目は「飢餓をゼロに」ですが、この目標に関わるSDGsの具体的なターゲットには、「女性家族農業など小規模生産者の所得倍増」、「持続可能な食料生産システムの確保と強靭な農業の実践」が含まれています。
伊藤園の場合、茶葉生産地の衰退傾向に危機感を持ち、 大規模茶園化と機械化農業の支援、茶葉の全量買い上げ契約を農家と結ぶ、などの取り組みを進めました。伊藤園HPでの説明は以下の通りです。伊藤園「産地と伊藤園の共栄」、「茶産地育成事業とは」
また、カルビーの場合、馬鈴しょの生産者の栽培技術向上や、労働負担の軽減に向けた支援の強化に取り組んでいます。カルビーHPでの説明は以下の通りです。
こうした取り組みが、日本の家族農業経営の衰退を食い止めながら、日本農業の持続性を高めていこうする取り組みでもあるため、上記のSDGsのターゲットに該当してくるわけです。
近代化にまい進してきたにも関わらず日本農業が行き詰まり、そこに危機感を持った消費者団体、食品企業が農業再生に向けて支援強化に動き出していて、それがSDGsと親和性がかなり高いことが以上の事例よりうかがえます。
3.SDGsブームにまつわる注意点
上記のようなSDGsに関わる取り組みが純粋に「農業をこれ以上衰退させてはいけない」という倫理感に基づく面も確かにあると思います。
その一方で、うがった見方をしますと、以前から多くの企業はCSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)に関する取り組みをPRして自らの企業イメージの改善を図ってきましたし、それを流行りのSDGsに合ったものに組み替えて取り組んでいる企業も一部には見られるのではないかという気もしています。私は、これがただの邪推で終わってほしいと考えていますが、どうしても企業の動機についてややすっきりしない面が残るように見えてくるかもしれません。難しい問題ですが、その点をどうとらえるかについて以下の記事が解説を試みています。
・ 辻村英之氏(2019)「SDGs時代の食品産業:アグリビジネスにとってのCSRのあり方」、上掲[2]、pp. 20-29.
2000年代にCSRがブームになった時、環境問題に熱心であることを装った「グリーンウォッシュ」が散見され問題視されたそうです。今回の私の講義では、うわべだけのSDGsが今回のSDGsブームの中でも起こらないかについて注意が必要になることを述べました。
※企業が他企業との取引関係上おこなう投資について関係特殊性、取引特殊性が強く備わると、その投資が過少になりやすく、その過少性への対処として企業間では垂直的関係が発展しやすくなることが、企業の境界の理論(Williamson、Hartなどに代表されます)で論じられています。上記の3事例のうち伊藤園、カルビーでは農家との垂直的関係の発展に進んでいますが、これは、これらの企業と農家の間では投資の関係特殊性、取引特殊性が顕著に備わっていたためかもしれません。
4.講義のしめくくり
今回の私の講義の終わりでは、農業の近代化の軌道修正を図ろうとする「農業のSDGs」に向けた取り組みは始まって間もないため、今後、社会でそれがどのように広まるか、真に農業の持続可能性を高めるものになるかに注視が必要であることを述べました。また、「 より多くの市民が「農業の近代化の問題点、コストの是正を図るべき」といった倫理を持ちながら、農業の持続可能性を高める行動に関心を持ち、そこに加われることを期待したい」と学生に訴えて、講義を締めくくりました。
講義を終えてみて
受講学生の反応はまあまあではないかと思います。趣旨に賛同する学生の割合は高かったですが、農業の近代化のコスト、問題が現状のように大きくなったことについて「仕方がない」と率直な意見を述べる受講生も見られました。
私自身、農業のSDGsに向けた取り組みが日本に広まって真に根付くかどうかについて半信半疑でもあります。ですが、このまま日本農業が座して死ぬを待つことになってほしくありませんので、まず目の前にいる若い学生に上記のような趣旨で訴えてみたいと考えました。自分自身を振り返ると、自分は農業に関する倫理やSDGsについて普段からの意識、心がけがかなり欠けていたと反省することが多く、もっと積極的に何かに取り組む必要があると痛感しました。
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